介護生活No23「介護と仕事の両立8」

夫婦で介護と仕事を分担

5年前の春、ハッピーリタイア。

休む間もなく第2の人生の仕事を頂き隔日勤務。「自分で遊ぶお金は自分で稼いで経済的に自立」とルンルン気分。

ところが、その翌年1月に母親が心不全、続いて父親が肺炎で入院。それからが大変な生活。

入院と共に母親に認知症の症状が顕著に現れ、夕方近くになると精神的に不安定になり、一人にしておくと点滴の管を外す、院内を徘徊する、幻覚症状が現れ訳も分からない事をしゃべる。

安定剤を服用していたが、寝つきが悪く、同室の患者さんに迷惑になるのでナースステーションで過ごしたり、夜中に病院から呼び出し電話がかかり、家へ連れて帰ることも何回かあった。

「黄昏症候群」である。

勤務先の了解を得て、隔日勤務を週2時まで勤務することにして、そのあとは病院で母親の付き添い。

私の顔さえ見えおれば比較的穏やかに過ごしてくれるが、時には暴言を吐いたりして精神的にかなり疲れた。夕食を食べさせ、落ち着いて寝付くのを見届け、自宅へ帰ると10時前後。妻も仕事を終えてから病院経由で帰宅して夕食準備等。

このような状態が続き、妻も私も心身共に疲労が蓄積。そこで、「私は両親の世話、妻は仕事と家事」と役割分担をして、「夫婦で介護と仕事の両立」をさせることにし、3月末で私は仕事を辞める事にした。

退職2年前ごろから両親に「あと2年間は頑張ってくれよ。退職したら病気になったり呆けてしまったりしても責任を持って世話をするから」と、言い続けていたので辞めることについては迷うことはなかった。しかし、退職を待っていたとばかりに、2人そろって入院、おまけに認知症になるとはと、自分の不運を凡人の悲しさで嘆いたりもした。

4月になってから父親の病状が悪化。朝、6時過ぎに病院へ行き、両親の朝食と服薬の世話をしてから9時頃自宅で朝食。昼食時間から10時前後まで病院という生活になり、結果的には私が仕事を「辞める」というよりは「辞めざるを得ない」状況であった。

その年、5月に父親が逝き、6月に母親が退院。自宅でも私の顔が見えないと大声で呼び続けるという状態が続き、外出するときは、近所の母親の友達に来てもらっていた。

7月に専門医の診察・治療を受けて安定剤を服用sるようになってから、徐々に精神的にも安定し始め、デイサービスにもいけるようになった。そして、3年後の夏、母が老衰で亡くなり、まだ4~5年は続くと考えていた「夫婦で介護と仕事の両立」も終わり「第2の定年退職」を迎え、現在新しい生き方を模索中である。

その間、年度末になると「フルタイムの仕事でないから・・・」といろいろな再就職の声をかけて頂いたが、「夫婦で介護と仕事の両立」を続けざるを得ない状態であり、お断りをさせてもらっていた。非常に魅力的な仕事もあり、心が揺れ動いた時も何度かあった。

4年ほどの短期間の「夫婦で介護と仕事の両立」であったが、介護だけの生活というのは、退職後といえども非常につらい。

ましてや、離職せざるを得ない、また、離職したくとも離職できない状態に追い込まれた現役世代の苦しみ、悩みは想像を絶するものがあると思う。

「介護と仕事の両立」問題に行政が施策面から積極的に取り組んで頂けることは、介護家族にとって非常にありがたいことと感謝している。

離職せざるを得ない現役世代にたいしての介護休業制度、仕事が出来る状態になった時の就労支援、また、離職したくとも離職できない現役世代に対する介護サービスの充実等の「介護と仕事の両立」問題を解決することが、家庭崩壊、介護ストレスによる痛ましい事件、高齢者虐待をみぜんに防ぎ、「認知症になっても安心して暮らせる社会」を作り上げるものと思う。

「ぽーれぽーれ」通巻361号2010年8月25日発刊より抜粋