介護中の皆さんへのお便りNo3

頻尿の母を介護してきた私の手紙

母を介護していてとても大変だったのは、何度も尿意を訴えて、トイレへ連れて行くという介助だったと思います。

まだ、何とか介助すれば歩けたうちは、手を引いてトイレまで連れて行きました。

母の最期のプライドというのか、絶対トイレだけは失敗したくないという思いが強いようでした。

自分でトイレまで行けるのなら、そんなに大変でなかったと思います。

トイレの場所もわからなくなり、ズボンの上げ下げや、トイレに座ることまで忘れてしまい、トイレに座っても

「もう、してもいいのか、もうしてもいいのか」

と何度も確認してくるのに、「出ない」と言う。

そのくせ、ズボンをあげて戻ろうとするとその途中でまた、尿意を訴える、という繰り返しがありました。

「今行ったところだから大丈夫」と言っても「出る」と言って聞きません。

大きな声を出してトイレに連れて行くまでは大騒ぎしました。

思えば、母もだんだん進行していく認知症と必死に戦っていたのだと思います。

リハビリパンツや尿とりパッドを使用しましたが、尿意があるのでやっぱりトイレに連れて行けと大騒ぎしました。

尿意だけでなく、

「おなかがすいた。何も食べていない。何か食べさせて」

「背中がかゆい。かいて」

「おなかが痛い。薬がほしい」

と休みなく訴えていました。

 

日中は、デイサービスを利用しましたが、夜間が大変でした。

夜間母の介助は父がしていましたが、父も音をあげ、同居していた私が代わることもありました。

1時間に10回までは我慢して連れて行こう、と頑張りました。

ショートステイを利用しようと思いましたが、なんと大騒ぎして一泊もしないで帰ってきました。

他の利用者の方が、不穏になる。とのことでした。

デイサービスでは本当にありがたいことで個別に対応してくださいました。

個室では、他の利用者さんと離れて、職員の方も一人ついていただいたようです。

しかも、一人でずっと対応していると負担が大きいらしく、時間を決めて交代されていたとお聞きしました。

早くから利用していたデイサービスであったため、そのように対応していただけたのかと思います。

症状がひどくなってから、介護サービスを利用するのではなく、早い段階から利用しておくことが大切だと思いました。

母も必死だったと思いますが、家族も必死でした。どんな対応をすれば、母が穏やかに過ごすことが出来るのか、模索を繰り返していました。

当時服用していた認知症のお薬が神経を興奮させているのではないかと、主治医に中止を申し出ました。

主治医からは「認知症が進みますよ」と言われましたが、私たちはもっとい認知症が進んで尿意も食欲もなにもわからなくなってほしい、と心の底から願っていました。

今思うと、本当に「人でなし」の思いだったと思います。

お薬が興奮を抑える薬や不安を軽くするお薬、眠たくなるお薬に変わり、少しずつ、母は穏やかになっていきました。

しかし、同時にできないことも増え、介護の量が増したことも事実です。

今、認知症の嵐の中におられる介護者の皆さんへ。

嵐はいつか通り過ぎます。

これだけは本当です。

今何とかしてほしい、と切実い思っておられる方もおられると思います。

何とか方法があると思います。

他の介護者の方からお話しを聞いて参考になさってください。

でも選ぶのはご自身です。そしてどんな方法をえらんだとしても、結局「あの時こうしていればよかった」とたいていの人は後悔します。

「介護に正解はない」とよく言われますが、あなたの選んだ方法はそれでよかったのだと思います。

2025年に向けて「認知症 聞いてほしい 聞かせてほしい 仲間がほしい」より抜粋