介護中の皆さんへのお便りNo2

怒りっぽい父を介護してきたBさんの手紙

認知症の実父を介護していて、一番つらかったのは「怒りっぽい」ことでした。

とにかく、すぐカッとなり、怒りだし、大声や時には手や足も出ました。

父は、排泄の失敗や便を触ったり、最後は食事がうまく呑み込めなくて、誤嚥性肺炎を起こしたり、それはそれで大変でしたが、今から思うと、この「怒りっぽい(易怒性)」が一番つらかったように思います。

父に何とか穏やかに過ごしてほしい、家族もなんとかうまく対応したい解決したいと必死でした。

介護の経験者から話を聴いて参考にしながら、父が怒り出した時の対応を家族みんなで話し合い、対応の方法を申し合わせました。

それは、父が怒り出したら、つられて大声を出すのは逆効果。

怒り返さず、なるべく静かに対応しよう、というものでした。実際そのように対応すると父も穏やかになることがありました。

しかし、毎回うまくいくというものではありませんでした。

最後には、穏やかになる薬を出してもらいましたが、今から思うと、それによって認知症がすすんだように思います。

家族の都合で薬に頼ったことを申し訳なく思うことがあります。

「その人の思いに寄り添う」と、言葉では簡単ですが、難しいことです。

「怒ったり、避難したり、説教はしない」と言うことが大切であることは理解できますが、実際に肉親の介護となると、感情的にならないということはとても難しく、覚悟がいることだと思います。

信頼できる主治医を見つける事も大事だと思いました。介護をしていると、必ず、壁にぶつかったり、もう限界、と思うことが出てきます。

そういう時に相談できる主治医がいるととても心強いです。

相性の合う主治医を見つけることが大切だと思いました。

一生懸命働き、家族を養ってきた一家の大黒柱、大切な父が「認知症」という病気になってしまい、「かわいそう」という気持ちが看取った今でも湧いてきます。

でも、最後まで自宅で過ごすことができたことは「よかった、幸せだった」と父も思っていると思います。

亡くなった時、父はとても穏やかな表情でした。私たち家族が必死に「何とか穏やかに過ごしてほしい」と思った願いがかなったように思いました。

今でも、その表情を思い出します。

2025年に向けて「認知症 聞いてほしい 聞かせてほしい 仲間がほしい」より抜粋
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