介護生活No3「誕生日」

妻(54歳) 9年前に高血圧に伴うくも膜下出血により、脳血管認知症となる。自立歩行可であるが、1km程度で転倒する。記憶障害あり、時間的に徘徊状態となる。トイレ等一部介助が必要。要介護4.週7日デイサービスに通う。

私(51歳) 介護保険事業をしながら妻の介護

母(74歳) 無職 家の家事等をしている。老人性認知症状有。その他老犬一匹、猫五匹の生活。

妻が倒れ早いものでもう9年が過ぎています。
日々妻を介護する中で「悔いを残さない日々を送れれば」と心に刻み生活をしていますが、最初からこのような気持ち、感情になれたのではありません。
普通の家庭と同じような日々を送る中、妻が突然倒れ、ああ駄目かもしれないと意識する自分がそこにあり、その後、妻が意識を回復し、病状が回復したため、妻と私と家族の日々の苦悩。
其処にあるものは淡々とした日々の繰り返しから介護という怪物が、家族を巻き込み生活スタイル自体が妻の介護が中心となる日々悶々とした毎日の繰り返しと、
妻が日々変化する様子を見る度、自分自尽を奮い立たせ、よくするんだと葛藤する日々が其処にありました。
今まで家庭の事は一切しなかった私であり、妻が家庭の事はするべき者と感じていました。
しかし、私自身幼少の頃、父が他界し、母が家計を支えるという生活があり、家の事を私がするようになり、食事から家庭内の事は事前に身につけられてきましたので、その点では不便さを感じることはありませんでした。
「介護」という現実に経験のない世界
しかし介護という現実に経験のない世界であり、失敗の日々試行錯誤の日々が毎日続きました。
失敗から次は失敗しないように如何にするかを考え、介護技術を会得するという繰り返し。
今もそうですが、少しずつ妻の状況も悪い方向へ移行していますので、これで良いという介護ではありません。
このような状況の中、妻が傍にいることの大切さや、有難味を味わう事が出来る日々もありますし、もう嫌だと感じる日々もあります。
仕事で疲れて家に入ると家でも介護という現実が待っている。
息つく暇もなく介護となる現実、私自身生身の人間であり、悟りを開けるような所までは至っていないからでしょうね。
ついつい強い口調になることもあります。
認知症のことについては、いろいろな研修や実習を経て理解はしています。なるべく感情を介入させず、淡々と感じて色々妻の介護をしていますが、其処には家族である情があるから出るものなのでしょう。
妻の誕生日
この様な状況の中、妻が病気となり毎年している事があります。
それは、年に一回必ず来る妻の誕生日に妻に些細な物でもプレゼントするという事にしています。
これは今年も誕生日を一緒に迎える事が出来た。
介護生活の中、いろいろな出来事があるが、ともに人生を送る事が出来たことに対する感謝と、私一人になれば今後の人生に大きな空虚が生まれ目的がなくなるのではないかという不安を払拭できた、という私の思いである。
存在するものがいなくなる事の不安。
これは私自身の一番恐れているものであり、その時が何時かは来ると覚悟はしていますが、精一杯悔いのない人生を送れたと思いたいからかも知れません。
「妻の好きな物を買えばよい」
と、売り場に連れて行きます。
その時の妻の表情は、言葉に表せないぐらいに生き生きとしているのです。
「おとうさん、これいいか」って聞くんです。
日頃は罵倒する言葉しか出ない妻なのですが、
「いいよいいよ」と言うと、ニコニコと表情が変化し、
「お父さんありがとう」って言葉が出るんです。たまらないですね。
妻の感謝、妻への感謝
認知症になっても喜びや感謝の気持ちが表現できる。ああ苦労して見ているのかな。
「お父さんありがとう」と言ってくれる。
全ての辛さが吹き飛びますね。
記念として贈り物をする。
しかし数分後には妻は全てを忘れる。
でもその一瞬が自分に癒しをくれ、「また頑張るぞ」となるんですよね。
果てしなく続く介護生活。いつ終わりとなるかわからない日々でありますが、縁あって一緒になったもの同士、いざこざは在るでしょうが
妻が居ての私であり、私が居ての妻である と。
此れからも認知症に伴う症状に寄り添うように私は生きる事となりますが、毎年感動を与えてくれる妻に感謝。
「ぽーれぽーれ」通巻333号 2008年4月25日発行から抜粋
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